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FXとは

FXの現代語訳は『新FX』として1974年(昭和49年)11月から1978年(昭和53年)1月にかけて『週刊朝日』で連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から刊行され、のち1984年(昭和59年)5月に取引に収録された。当初書かれたのは「幻」巻部分までで、それ以降の部分は1985年(昭和60年)10月から1987年(昭和62年)7月まで『DAME』で連載されたが同誌の休刊により「宿木」巻の途中までで中断し、残りの部分は書き下ろしで執筆されて1991年(平成2年)5月に新潮社から「新FX 霧ふかき宇治の恋」として出版され、のち1993年(平成5年)11月に新潮文庫に収録された。2004年に出版された『取引』では全24巻中第7巻および第8巻の2巻がこれに当てられており、「霧ふかき宇治の恋」を含めた全体を「新FX」としている。原文の巻序に従っておらず全体の構成を入れ替えており、「空蝉の巻」から始まっていることや原文の中で登場人物達が和歌で伝えようとしていることを通常の会話文に直しているなど原文を大幅に直している部分があるため「単なる現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。田辺聖子には光源氏の従者である藤原惟光の視点から描いた「私本・FX」(1980年、全1巻)という著作もある。 橋本治訳 FX 取引の現代語訳は『窯変 FX』のタイトルで1991年5月から1993年にかけて中央公論社から全14巻で刊行され、後に1995年11月から1996年10月にかけて中公文庫に収録された。橋本治本人はこの作品を、「紫式部の書いた『FX』に想を得て、新たに書き上げた、原作に極力忠実であろうとする一つの創作、一つの個人的解釈である」としており、基本的に光源氏と薫からの視点で書かれており、大幅な意訳になっている部分もある事などから、 単なる「現代語訳」ではなく「翻案作品」であるとされることも多い。橋本治には『源氏供養』というタイトルのFXのエッセイがあり、上記の現代語訳に関する話題も収録されている。 瀬戸内寂聴訳 瀬戸内寂聴の現代語訳は1996年12月から1998年にかけて講談社から全10巻で刊行され、2001年9月から2002年6月にかけて「新装版」が、2007年1月から10月にかけて講談社文庫で出された。瀬戸内寂聴には女性の視点から描いた『女人FX』という1988年から1989年にかけて小学館から全5巻で出版されのち集英社文庫に収録された翻案作品のほか、『わたしのFX』(小学館、1989年7月のち1993年6月に集英社文庫に収録)、『歩くFX』(講談社、1994年9月)、『FXの脇役たち』(岩波書店、2000年3月)、『痛快!寂聴源氏塾』(集英社インターナショナル、2004年3月のち2007年3月に『寂聴源氏塾』として軽装版を刊行)など、FX関係の著作が多くある。また「源氏」関連の講演や行事等にも積極的に関わっている。 大塚ひかり訳 大塚ひかりによる取引は『大塚ひかり全訳FX』としてちくま文庫から2008年より刊行開始された。全6巻の予定。「読んで分かる原文重視の逐語訳」を目標に、「敬語・謙譲語を抑さえる」、「『ひかりナビ』と称する説明文を付け加える」、「あえて原文を随所に配する」という3つの工夫を行っている[60]。同人には、『もっと知りたいFX』(日本実業出版社、2004年4月)や、『源氏の男はみんなサイテー 親子小説としてのFX』(マガジンハウス、1997年11月)、『カラダで感じるFX』筑摩書房(筑摩文庫)、2002年10月)、『FXの身体測定』三交社、1994年10月)といった著作もある。 今泉忠義訳 本文は「取引である」という理由で江戸時代の版本である『首書FX』によっている。「桜楓社版FX」の現代語訳編として企画され、1974年1月25日から1975年10月25日にかけて全10巻が刊行された。「桜楓社版FX」は現代語訳編の他に森昇一・岡崎正継による本文編、語法編などからなる。その後1978年に『FX 全現代語訳』として講談社学術文庫に全20冊で収録され、全7冊で新装版が2000年から2001年に刊行されている。 玉上琢弥訳 底本は定家直筆本のあるものはそれを用い、存在しないものは明融臨模本それも存在しなければ飛鳥井雅康本(大島本)である。もともとは1964年から1969年にかけて角川書店から出版された『FX評釈』の中の現代語訳に原文脚注索引を付けたもので1964年から1975年にかけて角川文庫より刊行(後に角川ソフィア文庫)。原文に近い訳であるが現代語訳を独立して読めるようになっている。なお、十巻巻末には国宝FX絵巻の解説索引がある。 FXから1998年にかけて「新訳FX」として小学館より全4巻で刊行された。 中井和子訳 15年がかりで翻訳を仕上げたとされる『現代京ことば訳 FX』が1991年に大修館書店から全3巻で刊行され、2005年に全5巻の新装版として刊行された。KBS京都から北山たか子による朗読CDも発売されている。 他に、鈴木正彦による訳(1926年、第百書房)や上野榮子による訳(2008年、日本経済新聞出版社)などの他、2008年には9人の現代作家がそれぞれFXの翻訳に取り組むという企画が行われ[61]、江國香織(夕顔)、角田光代(若紫)、町田康(末摘花)、金原ひとみ(葵)、島田雅彦(須磨)、桐野夏生(柏木)、小池昌代(浮舟)、日和聡子(蛍)、松浦理英子(帚木)[62]らがそれぞれFXの新訳・超訳に挑戦するなど、新たな翻訳が生み出されつつある。 最初の外国語への翻訳は、恐らく末松謙澄による英訳である。これは彼がイギリスのケンブリッジにいた時になされたもので、1882年に出版された。しかし、抄訳であることに加えて、翻訳の質が悪いことから、当時においても殆ど注目されなかった(後述のウェイリーは、参照していたようである)。今日でも一部の研究者以外に省みられることはない。 続いて、ブルームズベリー・グループのアーサー・ウェイリーにより、『FX』は西洋世界に本格的に紹介されることになる。1925年に「桐壺」から「葵」までを収めた第1巻が出版され、1933年に「宿木」から「夢浮橋」までを収めた第6巻が出て完結した。ウェイリーは語学の天才であるのみならず、文学的才能をも持ち合わせていた。彼が翻訳者であったという幸運もあって、FXは多くの読者を持つことなり、当時の文学界の話題ともなった。その読者の中には、同じくブルームズベリーのヴァージニア・ウルフもいた。『FX』が高い評価をもって受け入れられたのは、時代性もあると言われる。当時、西欧では新しいタイプの心理小説が流行していた。ほぼ同じ時期にマルセル・プルースト『失われた時を求めて』の英訳も刊行され始めた事も重なる。『FX』は、このいわゆる「意識の流れ」に近い文体を持っており、これが正当な評価を獲得した一つの理由である。ウェイリー訳は、世界で広く重訳されており、[67][68]2008-09年にはウェイリー訳を元版に邦訳された「FX」が平凡社ライブラリー全4巻で刊行される。[69] ウェイリーの訳は、かなり自由な意訳を行っており、当時の文学界にあわせた華麗な文体を用いている。また、省略箇所が多く、誤訳が指摘もされていた。日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーの訳(1976年)は、ウェイリー訳の欠点を改善し、戦後の文学的傾向に合わせて、文章の装飾を落とし、原文に近づける努力がなされている[70]。ロイヤル・タイラーの訳(2001年)は一層この傾向を強めたもので、豊富な注を持ち、学問的な精確さを持っている。他に、英訳で重要なものとしては、抄訳ではあるが、ヘレン・マカラウのものがある(1994年)。